Fu Hamabe
浜辺ふう 하마베 후우 濱邊風

劇作家・俳優。
京都・東九条生まれ。朝鮮半島の文化と日本の文化が交わった地域で育ち、6歳のときに自分が日本人だと知らされ衝撃を受ける。京都・ワシントンD.C.・ソウルで国際関係学を学んだ後、2018年に生活の延長線上として演劇活動をしていくためにソロユニット〈九条劇〉を設立。京都・ソウル・台北で公演した『ウリハラボジ』など、東九条の歴史や複合的なアイデンティティを持つ人々の生活を題材に演劇作品を制作、発表している。2022年には国立台湾文学基地との共同プロジェクトとして、日本語を話す異なった背景を持つ人たちを題材とした作品『上游』を発表した。他作品に二人芝居『エコー』、音楽劇『キルト』など。
History

音楽劇「キルト」
2019年9月6日-8日 @Theatre E9 Kyoto
歴史が重ね縫われたまち、東九条。
『キルト』は、植民地下の朝鮮から現在の東九条まで時代を飛び交い、「自らの文化を創り出す」東九条文化の来歴をダイナミックに表現する音楽劇。
選んで生まれたわけでもない、民族、国、地域を受け止め直し、血の通った文化を紡ぎ出す。極めてローカルな場所で起こる対話から見えてくるグローバルにも通ずる普遍的なこととは。
韓国からのプンムル・アーティストを交えた本新作公演は、東九条に住む人々には地元についてあらためて考えるきっかけを与え、また新たに関わり始める人々にはその背中を押すような、新しい視点を結び直す「まちの演劇」。
一人芝居・浜辺ふう版 「ウリハラボジ」
2018年6月16日-17日 @Books x Coffee Sol.
ある日、大好きな“おじいちゃん”が口にした、朝鮮人を差別するような言葉。「私」は心の隔たりを感じながらも、その距離を保って「良き孫」であろうとする。しかし、祖父の重病発覚とともに介護という極限の近さのなかでの生活が突如はじまった。二人で過ごす最期の時間、「私」は家族として、人として“おじいちゃん”との新たな関係を模索するが ― 。
「ウリハラボジ」は朝鮮語で“うちのおじいちゃん”という意味で、1987年に初演された同名のマダン劇作品がある。在日朝鮮人一世である“おじいちゃん”の語りを通して、孫が歴史と自身のルーツを知っていくという内容で、いまもハンマダンにより上演されている。もっとも近い他者と向き合うとは、それを認めるとはどういうことか。上の世代から話を聞くことで、自身のルーツと向き合い、成長していく在日コリアンの話があるように、日本人が年長の世代をどのように見つめ、悩み、もがいているかを、「私」を通して返歌のように書いた。ルーツを大切にすることと、ありのままであることが一致しない場合、私たちはどこに立ち、だれと共に生きていけばいいのか。自分に繋がる他者から歴史を見つめようとする、ポストコロニアル社会を生きるある日本人の葛藤を主題にした作品。

二人芝居「エコー」
2019年6月7日-8日 @九条湯
「この地域の語り部になってくれ」
重松先生が亡くなった。地域の運動を引っ張ってきたおっちゃんの一人だった。見て見ぬふりをしていた宿題に取り掛かるべく、小学校の同級生の二人が再会し、地域の歴史を掘り起こしていく。語り部としての二人が挑戦するのは……漫才!? 先生たちが激動の時代を経て作り上げた多文化共生の“ぬるま湯”で育った若者が、次世代の語り部としていまステージに立つ―。

第26回東九条マダンにて
一人芝居「桃太郎のルーツ」@崇仁テラス
2018年11月3日
高瀬川の上に作られた広場、崇仁テラスにて行われた一人芝居。京都市芸術大学に通っているお二人の作品と溶け合うようにして上演。
「桃太郎は何人だったんだろう」様々な場所や人の間を流れ、繋ぐ川の上で、自分のルーツはどこに繋がっているのか、自分はどこに向かって流れていくのか考えた一人芝居。

第25回東九条マダンにて
一人芝居「第100回東九条マダン」@元山王小学校
2018年11月3日
1993年より毎年秋に東九条で開催されているまつり東九条マダンで、事前告知なしで当日集まった観客と作られた一人芝居公演。東九条マダンと同い年の主人公が100歳になり、第100回東九条マダンで、自身の幼少期の思い出を語る。東九条マダンと共に歩んできた東九条地域の多文化共生の変遷を振り返り、そこで生まれた新しい世代のアイデンティティの葛藤を訴える一人芝居。







